くまみこから見る日常系アニメを求める人間の闇
今期のアニメに"くまみこ"がある。
都会にあこがれる巫女兼中学生の"まち"、しゃべるクマの"ナツ"。
田舎者の巫女と神として祀られる熊が織りなす日常系。と思いきや、ギャグ要素も備えている。
乗車時に必要なのは?
①Suica ②りんご ③バナナ
これの答えがまじめにわからないまちちゃん。マジかっぺ。
ちなみに都会人である自分としても、OIOIをマルイと呼ぶのは納得いってない。
それとは対照的、熊のナツはWi-fiの概念をふわっと理解している。タブレットを駆使し、ネット通販もお手の物。
そんな田舎者と評するのもはばかられるまちとナツのやり取りが楽しい本作。
荒れている。荒れに荒れている。
まず9話のオリジナルが詰まらなかったと荒れた。
次に11話が半分ぐらいオリジナルらしく、やはり原作の面白さが損なわれていると荒れた。
11話の続き、最終話である12話もオリジナル要素が荒れまくった。
日常系アニメに求められるのはいわゆる"優しい世界"。
誰も深く傷つかない。私たち…みんな仲間だもんげ! と言わんばかりの方向性がもてはやされる。
別にそれは良い。そういう方向性を求めてアニメを見ることが悪いなんて言わない。
くまみこなんだから無条件全肯定しろ! なんて原理主義者的な主張をする気はない。
ぶっちゃけオリジナル要素はつまらなかった。原作未読の自分でも違和感を覚えるほど。これアニオリだよなー方向性ズレてんなーと思いながら見てた。
つまらない、という感想が出てくることはわかる。
脚本家ほんとわかってんのかよ、なんてつぶやきも理解できる。
最終話でまちの精神が後退しているように見えるので、カミーユエンドなどと揶揄されるのも止む無し。
しかしわざわざ煽るやつは何だ。
これらの発言した全員が全員、くまみこを視聴していた層だとは思わない。
しかし、この中にはくまみこを楽しんでいた層も含まれるだろう。
面白かったアニメがつまらなく感じ、悲しくなったり離れていくものもいるだろう。
しかし楽しみをくれたくまみこ自体を攻撃する人たちは何だろうか。
まるで長寿アニメがつづくことになぜか嫌気がさした思春期の頃の自分なんだろうか。
と書いてて気づく。
実際、思春期のような精神状態なんじゃないだろうかと。
まさか自分のようないい年をした大人が、つまらなくなったからと言って楽しませてくれたアニメそのものをDVを振るうダメ人間のように攻撃するはずがない。だからみんな若く幼い精神性を持った子供なんだ!
そういう理屈を考えた。
しかし齢30にもなればこれはあくまで理屈であると知っている。
おっさんだろうと…いやおっさんだからこそ攻撃的になってしまう大人がいることを知っている。
声を荒げ、気に入らないことを露わにし、第三者という立場を利用して石を投げるような人間が存在することを知っている。
ぶっちゃけ荒らしたいだけで作品を楽しんでない人間はどうでもいい。
でも、くまみこを一時でも楽しんだあなたがいるのなら。どうか作品に石を投げるのはやめてください。
アニメとして作品がつまらなくなってしまったのは残念でしょう。がっかりするのもわかります。
それでも、あなたが大人でも子供でも。自分に良い時間をくれた作品に鞭を打つようなことはしないでください。
くまみこは確かに、あなたに良い時間をくれたのですから。