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決定権がない物語

先日、変態王子と笑わない猫、通称"変猫"の11巻を読んだ。次が最終巻とのこと。

この巻でやりたいことは一通り終わらせてる印象なんだけど、すごく打ち切り臭がする。編集か作者かはたまたその両方かわからないけど、話を終わらせる方向に持っていってる感じ。

 

変猫にはイタリアようじょがいるのだが、そのパッパは何気に物語の重要な立ち位置を占めているように感じた。

北欧神話でいうロキのようなトリックスターであり、かもするとラスボスなんじゃね? と思わせるほどに存在感があった。

登場比率的にはそれほど多くないのだが、主人公である王子に対して顔を近くしてホモかしらん? と匂わせつつ物語の重要な事を知ってるよ、と言わんばかりの一言を放つ存在、それがイタリアンパッパである。

 

そもそも変猫は、王子の変態性をなめらかにまき散らして話を脱線することが多い。1巻は4割ぐらいあった気がするが、最近は6割ぐらいある。実際は6割どころじゃない気がする。逸れた話は脱線し終わってから忘れたころに語られる。

 

具体的に言うと、なぜ世界に不幸は尽きないのだろう。そもそもスク水やブルマやようじょがいれば世界はハッピー、だからみんなで一色に染まろうわっしょい。ぼくは変態じゃないけどそう思うんだよね。あれ、なんで後輩幼女ちゃんは死刑判決を告げるかのごとき表情でぼくの手を掴んでるのもしかして手相でも見てくれるのかなでも指はそんな方向に曲がらないよいてててて。

不断の謝罪の結果、僕は執行猶予をもらいつつ半分刑を執行された死刑囚として生きる権利を手に入れた。グラッツェ! みたいな感じ。(すごく適当)

 

そんな感じに逸れまくってるのが常なのだが、パッパが一言つぶやくとヘビーな話なんだよ、と即座に軌道修正されるほど重量感があった。

 

そんなパッパが実は単なるいい人でしたー、というのはまあ良い。

だが、なぜパッパがそんな存在感を出していたのか語られたであろうシーンが削られたのであろうか。

十数ページに渡って彼がどのような激動の軌跡をたどって今の立ち位置を確立したのか、それが語られなかったのはなぜだろうか。イタリアンようじょマッマであるところの困り眉のおっぱいお姉さんという個人的どストライクキャラといかにして知りあい愛の芽生えとなるシーンが省かれ王子と一緒におっぱいっぱい言うシーンだけが残ったのだろうか。

 

ぶっちゃけ言うと、変猫は脱線が多すぎて話が進んでない感はあった。

脱線妄想が売りであるこの作品、そのために物語として遅々と進んでない巻が多い。

正確に言うと後半の巻に多い。

前半は脱線しつつも起承転結できちんと占めてたと思うのだが、後半は迷走してる感が否めない。それでも何とか終結しようとして今巻が苦心の末に納得できる形で生み出されたように感じる。

前巻と今巻の脱線を多少省けば1巻でまとめれる内容だよね? と言いたい部分とかも多々あった。

シリーズものなのに1年以上空いたよね? とかはちゃんと出してくれたから良いや。

 

今巻の王子は決定権を持っていない。

持っているのは作者と編集であり、そのどちらか、あるいは片方によってイタリアパッパのストーリーが削られた。

変猫、あるいはMF文庫Jのカラーとして、重い話ではなく心地よい話を、となったのかもしれない。

終わらない2006年があったりする世の中、物語を納得いく形で終わらせてくれるのは幸いである。

それでも変猫の物語性も多少なり期待してた身としては、やはり残念でならない。

 

最終巻は、王子こと横寺陽人の匂わせつつ語られなかった物語が多くなると思う。

決定権がない一読者ではあるが、どうか変猫の物語性も愛した人間にたいして心地よい物語とならんことを。